力を抜くと弾きやすい

脱力の話を先日しましたが、腕・手の力を完全に抜いて弾くと、自分が弾いている音が体にすっと入っていくような感覚がします。体とピアノが一体になったような気がするのです。そして一旦覚えると、なかなか忘れません。これは不思議なもので、力が少しでも入っていると、1-2週間練習しないだけで忘れてしまうところが、なぜかふと手がそこに行くんですよね。

でも最初学習するときがたいへんです。なにせ一音ずつ力が完全に抜けてから次の音を目指していかなければいけないのですから。まず頭でどの音を弾くか覚えて(ここでソルフェージュで言ってみる)、そして一音ずつ力を抜きながらゆっくり弾いていきます。

私は現代音楽も弾くのですが、現代音楽を勉強することによってスタンダードレパートリーの曲の練習法も改善されました。私は昔から初見が得意で、ある程度の曲ならさっと読んでしまい、各音力が抜けているかどうか確認せずに、パパッと弾いていたのですが、そうすると力が入っているところに気がつきません。特に美しく弾きたいという気持ちが勝ってしまって、精神の緊張が体の緊張となってしまっていました。

ですが、現代音楽は初見ではばっと弾けません。ですから一音ずつ拾ってゆっくり弾かないと覚えれないのです。また跳躍が多い曲も結構ありますので、力が入っているとまず弾けません。

あまり音程が遠くないものは力が完全に抜けてなくとも弾けることは弾けますが、跳躍となると脱力しないで正しい音を速く弾くというのはたいへん難しくなります。どうやったら、正しい音(和音)にジャンプできるか?それはその前の音を弾いているときに完全な脱力の状態であると言うことが必至です。例をここに出さないで説明するのは難しいですが、和音(1)から和音(2)にジャンプするとき、和音(1)で完全に脱力して、そして和音(2)の音を頭に浮かべて(ドレミで言って)飛ぶと不思議なようにちゃんと和音(2)の正しい音に着陸できます。ただし最初は超スローモーションでやる必要があるかもしれません。

要するに(2)の音を間違えると言うのは、(1)がちゃんと弾けてないからなんですね。物事の原因は何においてもそのものが起きる前にあるものなのです。だから間違えたからといって、間違えた音から練習していたのでは、何の役にもたちません。その前の音からスタートして間違えずになってから、少しずつ前にさかのぼって練習するフレーズを長くしていくのが正しい練習法です。

ともかくも音を間違えたら、その前の音がきちんと脱力して弾けているかチェックが必要といえましょう。

次は、肉体的な緊張VS精神的な緊張についてお話していこうと思います。

脱力の教え方

今日は脱力の教え方についてお話したいと思います。

力を抜け、と言うのは簡単ですが、実際に教えるのは難しい。

私が今まで教えてきて一番効き目があったのは、実際に脱力した自分(先生)の腕を生徒に持たせてみて、いかに重いかを実感させること。大体、体重が40キロとして、一本の腕は2-3キロはあると思います(わからないけれど、もっとあるかな?)。これって結構重いんです。そして、その腕を下から支えるように持たせて、「重いでしょう。じゃパッと手を離して」と言います。腕を支えてもらっていた手が離れると、もちろん腕はストンと落ちます。これを2-3回繰り返します。

そして今度は私(先生)が生徒の腕を持ってみます。ここで大抵、生徒さんは力を入れているから、重力が感じられない。「重くないよ」と言いますと、重くさせるために、力を入れる子がいますが、「これは押してるんだよ、本当の重さじゃない」と言うと、大概は素直にすっと力を抜きます。そしてパッと腕を放すと、下に落ちるはずなんですが、ここでまた力を入れている子は、すとんと落ちない。「ほら、落ちないよ。物体だったら、ストンと落ちるはずだよね」ともう一度落ちるまでやってみます。もしくはもう一度先生の腕を持たせて、実感させます。

今度は、また生徒さんに先生の腕を持たせて(必ず下から支えるように)、今度は手が鍵盤の上に落ちるように落下させます。手はグーでもいいし、指先が着地するようにしてもいいし、最初は何でもいいです。そこでボトンと落ちますので、今度は生徒さんにやらせます。どうしても「弾こう」という気持ちが先走ってしまって、鍵盤の上に行くと自動的に手と腕が固まっちゃう人が多いのですが、ポトンポトンを何回か繰り返しているうちに、すっと力を抜いて重力と腕の重さだけで音が出るようになります。

そして今度は指の関節をしっかりさせる練習です。まず生徒さんの指(一本)の関節を(先生が)両手で支えて、崩れないようにします。そしてポンポンと指を釘のように見立てて、鍵盤に落としていきます。そうすると、体感で学習できるので、生徒さんもわかりやすいようです。

また「赤ちゃんが最初に歩き出すとき、関節がふにゃふにゃしてるから、よくひっくり返るでしょ。でも数週間数ヶ月もしてくると、関節がしっかりしてきて、ちゃんと歩けるようになるでしょう。で、君たちの年齢になると、ちゃんと考えもせずに上手に歩いたり走ったりしてるけれど、だからと言って、足に力が入ってるわけじゃないんだよ。ピアノを弾くときは、歩いている足のように、指を使うのよ」と言うとイメージが伝わりやすいと思います。(それに同時に、「歩き時は足を上げるでしょ。ずるずる足を引きずって歩いている人はいないわよね。だからピアノを弾く時も、次の指はキーの上でちょっと上げとくの、歩くみたいにね」と教えると、一石二鳥です)。

これで悟りのいい子だと一発で脱力状態を覚えてくれます。

エゴとの戦い

教えると言うことは、エゴとの戦いだと思います。

人間どうしても本能に従ってしまいたくなるもの。まず怠けたがる。反対に練習を怠けないピアノ好きの子は、練習法が身についておらず、最初から最後まで速く弾いて「気持ちよく」なっている。

こういう子達に「怠けるな、毎日コツコツ練習!」、「一音一音よく聴いて、磨きたてた音で弾く」、「ゆっくり片手で間違いなく弾けるようになるまで何十回でも繰り返して練習しなさい」と言っても、なかなか言うことを聞いてくれません。

どうしても本能のままにやりたいんですね。

ですから、エゴとの戦いです。本能のままに育っていったら、ピアノは上手にならないし、精神鍛錬もできない人間になってしまいます。そこでピアノの先生としては、子供のエゴ(怠けたい、簡単な方向に行きたい)と戦わなくてはいけません。

毎日練習させるのはもちろん、練習の方法一つをとっても人間性が出るものですから、コツコツとできるまで忍耐力を持って、そして工夫して練習する癖をつけさせるのが先生の役目だと私は思います。

でもつい同じ間違いを繰り返したり、考えずに指だけ動かしていたり、間違いを認識せず、自分が上手だと思って、最初から最後まで速く弾くだけだったり・・・そういう子供たちを毎日教えて、時には叱咤して、時にはしんみりと話し聞かせて・・・少しずつ子供たちの方向性を矯正していくのです。

生徒たちが少しずつピアノが上手になっていくのも楽しみですが、立派な人間として成長して行ってくれるのが私の一番の楽しみです。

私の師ラッセル・シャーマン先生

昨日私の恩師ラッセル・シャーマン氏が80歳になられたそうです。
シャーマン先生の記事(英語)

80歳になられても現役で毎日7時間練習していらっしゃるそう。2年ほど前にNYでリストの超絶技巧練習曲全曲を演奏されたときに聴きに行きましたが、「さすが先生!」と思わせるような、本当にインスパイヤされる演奏でした。80歳近いとは思えない迫力ある音。すばらしいグラデーションのある音色のパレット。あまり他のピアニストの演奏を聞いて「すごいなあ」と思うことはあまりないのですが、このときばかりは心底から「すごいなあ」と思いました。

このシャーマン先生に師事していたころ、ボストンの郊外にある先生のお宅に電車とバスを乗り継いで(約1時間半!)レッスンに行きますと、「サチコはなぜピアノを弾いているのか?」といきなり深い質問をされました。さっと答えれずにまごついていると、「レパートリーを勉強したいからか、それとも自分自身について知りたいからか?」と二つの選択をオファーされました。そこで、「両方です。レパートリーもいろいろあるから、勉強したいけれど、ピアノを通して自分自身をみつめたい」と言いますと、先生「良い答えだ。ではXXを弾いて」とお話が終わりました。

そのときのことが今でも頭によぎります。上記のインタビューでは、「ピアノは世界への窓である、ピアノを通していろいろなことを知りえる」とおっしゃっていますし、著作では「ピアノは宇宙。ピアノのマスターになるということは宇宙のマスターになるということだ」とおっしゃっています。

私の「ピアノは人生の師である」というメッセージは、このシャーマン先生から知らない間に受け継いだメッセージなのかもしれません。

デール・カーネギーの人生啓発書とピアノ演奏について

今デール・カーネギー著の「道は開ける」という本を読んでいます。心配性の私としては、遅ればせながら、この有名な人生啓発書で「やはり心配は無駄なエネルギー、悪い結果しか生み出さないんだなあ」と感じ入っています。

とにかくも心配性の私。とっても楽しくて幸福絶頂のときに出さえ、「ああ、この幸せもつかの間なんだなあ」なんて考えてしまう。損な性分です。

で心配性だから、コンサートがあると、やはり数週間前から心配しだし、コンサート直前なんか緊張で心臓パクパクです。プロだから、あがらないというのは嘘です。プロでもあがります。リヒテルもあがり魔だったという話だし。

でもこのカーネギー氏の本を読んで、やはり演奏も同じだなという思いを新たにしました。

この本の中で、「今日のことだけ考えろ。過去のことも未来のことも思い煩うな」という章がありますが、演奏しているときでも、今弾いている音と次の音に集中して、先のことを心配しない。これって大切です。どうしても「次のページのここのパッセージが心配だ」とか「さっきのとこが上手く弾けなかった!」なんてふと考えてしまいがちですが、今の音と次の音に全神経を集中するのです。

また「忙しくして心配する暇をなくせ」とも書いてあります。コンサートに挑むときは、「ここは手をこうして」とか「指の加減をこうして」とか「ペダルはこうする」「ここは盛り上がりのセクションだからクレシェンド!」とか覚えておくことを山ほど作って、演奏中にそのことを考えるのです。練習を十分していると、自動的に指も動きますし、音楽的なことも自動的にできるようになりますが、そこのところを意識的に考えながら演奏すると、緊張の度合いがぐんと減ると思います。

やはり楽器を弾くということは、人生の縮図みたいなものですね。いい加減な練習をしているといい加減な演奏にしかならないし。いつもピアノに向かうときは、自分に対して真摯に向き合い、何かしらそこから学ぼう(音楽のことだけではなく、生き方についても!)と努めています。
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